多動性生涯

読点と改行を混同しながら書いていますが、頭が悪いのとは関係ありません

ロードバイクにおける官能性,シマノからカンパに載せ替えて感じたこと

前回の記事(http://sov.hatenablog.jp/entry/2018/11/05/140111)の続編,あるいはおまけという感じで書こうと思っていたこの記事だが、なかなか筆が進まぬうちにあれよあれよと時が過ぎ去り、とうとう年をまたいでしまった。というわけで今回は、シマノ・コンポのロードバイクに1年半あまり乗っていた私が、カンパニョーロに載せ替えて感じたことを書き連ねて行こうかと思う。というより、こっちが本編なのかもしれない、むしろ。

 

少しばかり個人的な話をする。私が初めて乗ったロードバイクは、アルテグラで組まれ、ホイールにはデュラエースC24CLを履いたパナソニックのクロモリという、質実剛健という言葉を具現化したような一台で、それは知人の所有物だった。自転車といえば、ホームセンターに売っている24段変速のMTBや、ネット通販でのギシギシうるさい折り畳み自転車程度しか触れたことのなかった私が、初めてそのパナモリに乗った時の感覚は異次元という他なく、その衝撃は今でも克明に覚えている。

その時から2年弱。かつて異次元だったその感覚はすっかり日常の一部となり、飽き性気味の私は新たな刺激を欲し始めていた。ホイールは替えたばかりだったし、新しいフレームが必要になるほどオプティモに不満を覚えたことはなく、乗り潰したとも到底言えない。そこで、廉価グレードのコンポーネントを変えてみるということに落ち着いた。ティアグラ4700からのステップアップなので、順当に考えれば6800かR8000のアルテかなぁ、とも考えて、実際にアルテを積んだ自転車を借りて走ってみたのだが、なんだかそこに斬新な感動を見つけることができなかった。当然だが引きの軽さ、変速性能、変速速度、どれをとってもティアグラよりも数段は優れる。でもそれは、ティアグラのそれの延長線上にあるように思えた。モノは素晴らしいのだが、決して安くはない金額の対価として考えると、手放しで飛びつく選択肢ではなかった。200g700円のインスタントコーヒーに慣れた舌でもカフェの挽き立てコーヒーの美味さは分かるけれど、私は紅茶の気分だったのだ。

時間は掃いて捨てるほどあるがカネは無かったので、私はヤフオクSNSを通した個人取引、中古ショップを駆使して、出来る限り安くカンパニョーロの部品を集めることを始めた。蓋を開けてみれば、海外通販でR7000系105のグループセットを買うのと同じくらいの値段でコンポーネント一式を揃えることができてしまった。11速初期~中期のミックスちゃんぽんである(スプロケ、チェーンはコストカットのためシマノを使っているのだけど)。

組み付けに関しては大した労力を要さなかった。こういうわけで、案外あっけなく、初のカンパ組みバイクが完成したわけである。

 

スタンドで変速を合わせているだけならば、シマノの感覚に慣れ切った身体でもことさら違和感を覚えることもないが、実際にエルゴを握ってアスファルトに繰り出してみると、その差異は徐々に発現されてくる。リア変速は多少ガチンガチンとしてやかましいかなというくらいだが(これは決して不愉快というニュアンスではない)、フロント変速に関しては話が別だ。載せ替えと同時にチェーンリング歯数も変更した(50-34→53-39)ので同一条件での比較ではなく、歯数差の少ないカンパが若干有利となるはずなのだが、それにも関わらずこの世代のカンパのフロント変速はシマノと比べると、絶対的性能で言ってしまえば正直話にならない。フロント歯数の差を差し引かず、更に比較対象が下位のFD-4700とFC-6800の組み合わせとの比較でさえ、だ。FDもチェーンリングも出来が違いすぎる。あと、どうでもいいがエルゴの諸々のせいでトリムが6段階もある(これは4アーム化に伴うマイナーチェンジの際に改良された)。

しかし、私はこのカンパのフロント変速が決して悪いとは思わない。というよりむしろ、シマノよりもこちらの方が好きと言っていいくらいかもしれない。

フロント変速においてシマノよりカンパが抜きん出て優れる点、それは官能性だ。はいはいお決まりのやつね、と思われるだろうから言っておくが、私は、シマノと比べられたカンパオタクが決まってのたまう「感性に訴え掛ける〜」だとか「フィーリングが〜」とかいったフレーズが好きではないし、眉唾だと思って鼻で笑う側の人間だ。しかし―シマニョーロの時もそうだったが―実際に乗り比べてみてしまうと、やはりそこに言及しないわけにはいかないのである。

チェーンリングの出来の差が、FDのそれ以上に変速性能、というより変速方式に関わってくるように思える。どこからでもスチャッ、とアウターに吸い込まれるかのようにしてチェーンが上がってしまうシマノに対して、カンパのフロント変速は変速ピンに大きく依存しており、ピンがガチッとチェーンに引っ掛かり、クランクの回転運動によってそれがアウターにグイッと押し上げられる、といった具合が手に取るように伝わる。確かに絶対的な変速性能と、それを簡単に引き出せる点に関してはシマノには遠く及ばない。だが、変速ピンの位置をこちらが考えてやり、それに合わせるようにエルゴパワーのレバーをグッと押し込んでやれば、このイタリア産まれのメカたちは、シマノに肉薄するほど素晴らしい働きをしてくれるというのもまた事実なのだ。そしてその動作がたまらなく愉しいということも。

フロント変速に顕著なカンパの面白さは、もちろん他の部分でも感じることができる。エルゴパワーはSTIよりもしっくりと手に馴染み、変速ボタンもバチンバチンと心地良い音と感触を伝えてくれるので、5段飛ばしのウルトラシフトも相まって、思わず積極的にシフトチェンジをしてしまう。ブレーキは絶対的な最大ストッピングパワーこそシマノに譲るものの、充分に良く効くし、なによりコントローラブルだ。握り込みと共に制動力が高まってゆく感覚はシマノよりも好ましい。ブレーキだけはカンパというロードバイク乗りが一定数見受けられるのもうなづける。

 

 

このシマノvsカンパの構図は、機械の自動化と、それへのアンチテーゼとしての手動操作、更に抽象化すればデジタルvsアナログ、というよくある二項対立に当て嵌まるのではないだろうか。例えばジドウシャにあるMTとDCT(スポーツAT)に当て嵌めてみれば分かりやすいかもしれない。カンパがMT、シマノがDCTである。MTはDCTよりも操作が複雑にも関わらず、その変速性能はDCTに劣る。とにかく速いのが好き、というスタンスのひとたちにとっては、MTなんて過去の産物だろう。だが、MTには根強い固定ファンが存在し続ける。効率や絶対的な速さよりも、愉しさを追求し、機械との対話を好むひとたちもいる。どちらが正しいなんてない。少し大袈裟かもしれないが、つまりはそういうことではないだろうか。

趣味の世界の自転車においては、アナログな乗り物な分、「マシンとの対話」のようなものが自動車よりも重視される傾向にある。絶対的な速さはひとまず置いておいて、自転車に乗ることを楽しむ。自転車とそういう向き合い方をする人にとって、カンパニョーロはなによりベターな選択かもしれない。少なくとも私はそう感じた。